感じる化

見える化」の重要性が叫ばれて久しいですがさまざまな取り組みの状況を見ていると、「見える化」のための報告や情報管理でコストや手間が増大することにより合理性がなくなったり、挙句の果ては「見えるだけ化」だったりして効果的・継続的な実践は難しい様に思えます。
ソフトウェア開発の現場でも「ソフトウェア品質の見える化」や「プロジェクト状況やリスクの見える化」などの取り組みがなされていて、ある一定の効果が見られる場合もあったと思いますがその効果も一巡するとやはり同様の壁にぶつかっているように思います。
そこで私は「見える化」の進む次のステップとして「感じる化」を進めたいと考えています。


ソフトウェア開発の現場で「見える化」と言えば継続的にメトリクスを計測して統計を確立することだと思います。
そしてその次のステップとして多くの場合にはメトリクスから得られる指標による定量的な評価・判断ということになると思いますが私はこの点が問題だと思っています。
メトリクスから得られる指標による定量的な評価・判断は非常に客観的ではあると同時にそれは人の感情や判断が介在しない、つまり完全自動化を目指して人間というものの存在が不要になることを目指していると言えると思います。
確かにそのような完全なシステムが経済的な合理性を無視しないで実現できればそれは非常に素晴らしいものだと思います。
しかし現実はメトリクスを計測する際に抜け落ちる情報やダイナミックな状況の変化による統計的な手法が通用しない状況においてこのようなシステムは破滅的(デスマーチ的)なふるまいをすることになってしまうと思います。
このような現実の課題に対してはあいまいではあるが多くの情報を取り込んで合理的な時間で総合的な判断ができるという人間の能力が生かされるのではないかと思います。
そこで「見える化」の次のステップとしてはメトリクスから得られる指標や統計(履歴)情報による「感じる化」の取り組みが重要なのではないかと考えています。
「感じる化」では現実を感じることができてしかも「良い」「悪い」「気持良い」「気持悪い」「はかどっている」「はかどらない」といった感情として実感できることを重要視します。
このような実感を得ることができない、何も感じない情報の収集をやめたり、より強い実感を得るためにメトリクスや指標を工夫しつつ、よりポジティブな実感が得られる様にシステムを改善するという取り組みが効果的ではないかと思います。
システムの効果的な維持・発展のためにも取り組む人の実感による定性的な判断は重要であると考えています。


ところで人間の存在が不要となるような社会システムは本当に理想でしょうか?
今までも省人化を進めてきて人の暮らしが豊かになってきたことは事実だと思います。
しかしそれで以前に比べて今は人の存在が不要になったということでしょうか?
おそらくシステムの局所的な部分で省力化により人間の負担が減ると同時に、その分の負担は新たな別の課題に向けられてきたのではないかと思います。
その結果全体としての負担が減ることはなく、むしろ人間の取り組む課題が高度化・複雑化してきているのではないかと思います。
ソフトウェア開発の現場においても単なる人の負担を減らすことを目指す取り組みではなく、人の手間がより高度な課題に向けられるような取り組みが重要だと考えています。
おそらくそのような取り組みはそれに関わる人のモチベーションにもプラスに働いてより大きなやりがいを感じて幸せになることができるのではないでしょうか。
私はそのような取り組みを推進したいと思っています。