ソフトウェアのコモディティ化

ソフトウェア開発に関わる人たちから悲観的な意味でソフトウェアのコモディティ化が叫ばれています。
しかしソフトウェアのコモディティ化は憂う事なのでしょうか?
ソフトウェアのコモディティ化を推進する勢力はオープンソースでありフリー(自由な)ソフトウェアでありGoogleIBMなどのソフトウェアをどんどんタダで供給しようとする企業だと思います。
冷静に考えればソフトウェアのコモディティ化でもっとも恩恵を受けるのはソフトウェア開発者のはずです。
質の高い開発環境、ツール、ライブラリ、ミドルウェア、プラットフォームが低コストやタダで利用できてソフトウェア開発者がよりクリエイティブな活動に集中することができるのはソフトウェアのコモディティ化のおかげだと思います。


ソフトウェア開発者が悲観的に思ってしまう理由はおそらく「こんなにも苦労して時間をかけて作った〜ステップもあるプログラムの価値が下がるなんて、、、」という気持ちだろうと思います。
しかしこの発想はまさにコスト積み上げ方式の考え方で価値の判断を間違う典型だと思います。
本当の価値は利用より得られる効果の総和であると考えるべきだと思います。
実際に価格がついていたがためにほとんど利用されることが無かったソフトウェアがオープンソースや無料化されることで多くの人により利用されるようになり、結果としてソフトウェアの存在がより多く社会に貢献することになった例が見られると思います。
ソフトウェア開発者としてもせっかく作ったソフトウェアが使われずに世の中の役に立たないよりも多くの人に使ってもらって社会に貢献できるほうがうれしいと思います。
そして社会への貢献が大きければそれなりの見返りがあるはずだと思います。(少なくとも社会が見捨てたりはしないでしょう)


このようなコモディティ化するソフトウェアの特性はデジタルコンテンツに似ていると思っています。
なのでこの様な傾向のソフトウェア、特にデスクトップアプリケーションを含めてインターネットで流通するソフトウェアは「デジタルコンテンツとしてのソフトウェア」あるいは「ダイナミックコンテンツとしてのソフトウェア」と理解するといろいろと説明がつく場合があると思っています。
これはマクロメディアが(その名の通り)進めてきたコンセプトであり、現在のリッチコンテンツSOASaaSなどの流れを理解できるように思います。