Agile Japan 2010に参加しました(その1)

Agile Japan 2010に参加しました。
個人的な感想を一言でいえばこの場を共有しできたことを本当に良かったと思います。
前回のAgile Japan 2009ではアジャイルの実践というものがまだどこか別の場所で行われているものでそれにあこがれる人たちの集まりの様な感覚がありました。
この時にも各自がそれぞれに感じるものがあったと思いますしそれがポジティブなものであったと思いますが、ただそれはそれぞれ個人的な思いの集合でしか無かったのではないかと感じていました。
しかし今回はアジャイルの実践が現実のものとして感じられましたし、野中先生の効果もあって形式的に表現することは難しいが実感として感じることができるアジャイルに対する相互主観性が形成されたのではないかと感じています。
今回のAgile Japan 2010でユーザ企業やベンダーの経営層も参加する価値のあるアジャイルカンファレンスとして一つの形ができ上がったと思っています。
この内容であれば私のお客様にも紹介して可能であれば参加してもらえば良かったと思っています。
次回以降にも期待したいと思っています。
あとは昨日の「Agile Japan 2010に参加しています - Jamzzの日々」に続いて個人的に興味深いと思ったことを書きたいと思います。

定性的評価を活用する

これも野中先生の話で昨日書き忘れたことなのですが、定量的評価の重要性を認めつつしかし一般的な基準よりもより定性的評価に価値を置くという話がありました。
定量的、定性的という議論の中で計測と判断の話が整理されずに感情的な議論になっていることも多いと思っています。
私は定量的な計測は非常に重要であると考えていますが定量的な判断に関してはその定量的判断の根拠や運用の実態などについて十分注意しなければ場合によっては非常に危険だと考えています。
人事評価などはまさに典型だと思います。
コンピュータに明るければ下手なアルゴリズムが人間の認知に遠く及ばないことは明らかだと思うのですが、おそらく「計測できないものは制御できない」というのをなぜだか定量的に判断しなければならないとして広く信じられてしまっているのだと思います。

アジャイルの現状と未来、次に来るもの。〜リーン開発への展望〜」

Alan Shalloway氏によるポストアジャイルとしてリーンをプロジェクトの範囲を超えて企業活動や経営のレベルにまで展開するという話でした。
私の感想としてはマネージメントというよりはガバナンスの話しだと感じました。
この内容はユーザ企業やベンダの経営層に聞いてもらいたい内容だと思いました。
私はリーンソフトウェア開発については本を読んだり、メアリーポッペンディークの講演の内容などを調査しているのである程度の前提知識がありますし、リーンの実用性は非常に支持しています。
今回の発表の内容についても全く同じ意見であり参考になるものでした。
ただリーンをプロジェクトの範囲を超えて企業活動や経営のレベルにまで広げるとアジャイルマニュフェストで宣言されているソフトウェアの創造活動という範囲を超えているのでアジャイルのコンテキストで議論することは混乱を招くのではないかと思います。
なのでこれはポストアジャイルということではなくて、アジャイルのIT企業活動への拡大展開という議論だと思います。
私も経営者としてこの点で非常に興味がありますし参考になるのですが一般的なアジャイルの議論とは整理したほうが無難だと思いました。

リーンプラクティス

Alan Shalloway氏の話の中でリーンプラクティスに関する発言がありました。
私が印象に残っている物を挙げておきます。

  • 遅れを削除することは急かすことではない

無駄を削除することはコストカットと違うというのも同様です。
最近思うことなのですが、西洋的な思想は何かが不足しているときに効果的に追加する能力は非常に優れていると思うのですがこの過剰な物を「削除する」ということが苦手の様に思えます。
一方で老荘思想や禅思想等に見られる様に東洋的な思想では積極的にこの過剰な物を「削除する」という意識を働かせようとします。
状況を何かが不足していると捉えるのか、過剰だと捉えるのかによりアプローチを変えるべきではないかと思っています。

  • 生産性を上げることは担当者を忙しくさせることとは違う
  • 人の問題ではなく状況の問題として考える

問題に対処する時には主客を切り離して客観的な状況としてとらえることが重要だと思います。
責任問題は政治問題として別にする。(現実には難しいことも多いですが、、、)

  • コストの無駄より遅れに着目する

最終的には価値流(単位時間当たりの流れる価値の大きさ)を最大にすることを目的にするのですが価値は市場における時価なのでその投資に当たるコストの妥当性評価が難しいということです。
一方で遅れは価値流を求める際の分母になる直接的なパラメータなのでその効果がはっきりとわかりやすいということで遅れ(QCDにおけるD)に意識を集中するとうまくいくという話でした。
私もお金で時間が買えないのであれば時間のパラメータを最適化することに集中すればエフォートが最適化されて結果的にコストも最適化されると考えています。
当日の質問にもありましたが創造性のための冗長性、教育訓練的な投資などまでを考えると何を無駄と考えるのかは非常に難しい問題です。
その中でシンプルなルールと後は経営ポリシーあるいは組織の中の相互主観性により判断されるものだということだと思います。

  • 利害関係者を教育する

確かに必要だと思いますし頭の中では合意できるのですが、私には教育する側が正しいことを前提にしている様でうまく実践できないという悩みがあります。

リーンとCCPMの関係

リーンの説明について一通り終わったところで聴衆からゴールドラットCCPMクリティカルチェーンプロジェクトマネージメント)との関係について質問がありました。
Alan Shalloway氏は同様であるという趣旨の回答でしたが私がアジャイルを推進する上でCCPMならば採用したいがアジャイは難しいといった反応が少なからずあったことから日本ではこれらの違いに重要な意味がある様に思っています。
この点について平鍋さんに海外での認識について尋ねるとリーンとTOC(制約条件の理論)は比較対象にされるがリーンはTOCの概念も含むというお答えでした。
リーンが企業活動にまで言及していると確かにCCPMの範囲を超えてTOCレベルの広い範囲の話になると思います。
アジャイル開発とCCPMの共通点と相違点について、私個人的な意見としては価値流(価値のフロー)に着目するという課題の認識については全く共通していると理解しています。
相違点はCCPMはあくまでもトップからの視点で全体をコントロールするというプッシュ型であるのに対してアジャイルは現場主導によるプル型であるという点が違うのだと理解しています。
これらの違いは自己組織化や創発の存在を肯定して取り込むかどうかの違いがあると思っています。

価値とは待っている人に待っているものを早く届けることである

平鍋さんの発言で当たり前の様に思えるかもしれませんが、私にとっては目から鱗がとれた様にこのシンプルな認識によりいろいろな物がよりはっきりと見えるように思えました。


長くなってきたのでこのあたりで一度更新したいと思います。
続きはまた改めて書きたいと思います。